儀  仗 3

 「如何した?」

 重信が声を掛ける。はっとしたように博雅は今一度重信の顔をまじまじと見つめる。何か言いたそうに口を開きかけてはいるのだが、どうもうまい言葉が見つからないらしく、あぁ、うむ。それなのだがと濁すように言葉を無理矢理繋げている。そんな彼の様子を見た重信は、わざと片目を大きく開けてみせ、分かっているぞと言わんばかりの口調で言った。

 「さては雅信兄に頼まれたな。」

 「違っ、いや・・・・、あの、違わぬのだが・・・・。」

 博雅の殺声さいせい。漸く構えていた笛を下ろし、たじたじと上目遣いで重信の表情を窺う博雅。自分よりも年上とは思えないその態度に内心苦笑し、重信はカマをかけてみただけだと言った。そしてほんに正直者よなぁとややのんびりとした口調でこぼす。

 「兄心このかみごころ感謝致します。しかし、ただの暑気当・・・・。」

 「誤魔化されんぞ。楽の音は正直だ。」

 重信の言葉が終わらないうちに、博雅は自分の考えをかぶせる。それから先日合わせたのとは違った笛の音であることを主張した。ただ、何処がどうと具体的には言えぬが、兎に角何かが違うのだと強調した。

 「・・・・確かに雅信殿にも何があったのか知らぬか?と聞かれはした。始めは雅信殿の言うことが信じられなかった。ならば自分の目で確かめてみようと思った。そうしたら――。」

 博雅が逸らしていた視線を重信に戻し、今度は正面から問うような視線を投げかける。強要はしないが話してくれるのであれば。と少し期待の入った目と、迷いが生じている目とが視線を絡ませる。やがて重信が視線を外し、諦めたかのように溜息をつく。そしてそのまま立ち上がって簀子で庭と対峙する姿勢を取る。月次げつじを確かめるかのように首を傾げてみせた後、ゆっくりと博雅に向き直った。

 「最後に会ったのは、一月半も前だったと思う。その、そうだなそれから三日位後の日のことは覚えておるか?」

 こくっと博雅はがえんずる。

 その日はひどい白雨で、常よりも盛大な雷を伴っていた。降っていた時間は短かったにせよ、大気を洗い上げるには充分な激しさだった。その為、夏にして珍しく目を細めるくらいの輝きを持った下弦の月が夜空を飾っていた。博雅は案の定月の光に導かれ、ふらりと自邸を抜け出して笛を吹いてそぞろ歩いていた。一方重信はその晩は宿直であった。 

 「月の綺麗な晩であったなぁ。」

 その日の月の光を思い返すかのように、博雅はすっと目を細めた。

 「その日、飛香舎ひぎょうしゃで珍しく二十三夜待ちをしていたのだ。」

 二十三夜待ちは、月待ちという行事だ。月待ちとは、特定の月齢の日に供物を供えて月が出るのを待ち、月を拝んで飲食を共にするという、月を祭る行事のことである。特定の月齢の中でも二十三夜月に行なわれることが多い。また、女性のみの講というのが多かった。そして毎月行われることはあまりない。

 簀子から戻り、重信は博雅の前に座す。

 「詳細はともかく、その宿直の晩見回りついでに歌を届けて欲しいと頼まれたのだ。そしてその役目を終えた時、音がしたのだよ。」

 博雅は重信が語るに任せ、時折相槌を入れながら静かに話を聞いていた。二十三夜ともなれば月の出は真夜中頃となる。かすかな音でもそれなりに響く。博雅もそうなのだが、同様に重信も耳は良い方である。

 「丁度渡殿の真ん中辺りだったのだが、陰明門の方から鈴の音がしたのだ。それも一つ二つではなく、かなり多くの鈴のな。」

 陰明門から渡殿まで、距離にしておよそ二十二間(40m)。夏の雨上がりにそこまで音が届くということは、鈴の音にしてはかなり大きいことが窺える。

 「鈴の音、か。どのような感じであったか表現出来そうか?」

 一口に鈴の音と言っても、その鈴の大きさや素材が土なのか金属なのか、はたまたそれらとは違ったものなのかによって音は随分と異なる。

 「小さめの鈴が複数で、聞く者によっては小川のせせらぎにも聞こえような、あの音は・・・・・・。」

 ぼぅっとというよりは、半ばうっとりとどこか遠くを見るような眼差しをしながら重信は語った。見る者によっては当人が気がつかないうちに恋に落ちたのでは。と思えるようなそんな仕草だった。ただ、その仕草の中に恋をしている物が持つ独特の憂いさは一切ない。まだ、恋に恋をしているそのような雰囲気だった。

 珍しいものを見たかのように、博雅は少し瞠目した後目を細めた。それから恋をしているように見えなくもないが色めいたものは全くない重信の様子を見て、心配される筈だと胸中一人納得した。そして重信が話の続きをするのを待った。心地の良い風が二人の間に溝を作るかのようにゆっくりと吹き抜けていった。



→戻る

→次へ